タリンはエストニアの首都で、ヘルシンキからはフェリーで2時間程度の距離にある。タリンは13世紀の始め、ローマ教皇から征服してもいいよとお墨付きをもらったデンマークの王様がお城や教会を建てたのが始まりで、以後ハンザ同盟の商業都市として発達した。タリンには中世の町並みや城壁がみごとに残っており、第二次世界大戦でソ連にエストニア人が抵抗した報復に街の一部が空爆されたものの、町の形はきれいに保存されている。

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塔と塔の間を城壁がつないでいる


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路地を入ればこんな世界


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夕方になると広場にはろくそくが


博物館では中世から現代までの歴史がよくわかるように展示されていて、中でもエストニアがソ連から独立するために起こした革命のビデオはとてもよかった。

エストニアは最初はデンマークに、次はドイツの十字軍、続いてスウェーデン、1710年にはロシアに支配され、1918年にやっとエストニアとして独立するも1940年に再びソビエト支配となった。ほんとうに気の毒なことにエストニア語を話すエストニア人というのは常に召使や下働きの地位しか与えられなかったらしい(それが今でも複雑な劣等感として残っているらしい)。1987年ごろからナショナリズムが高まった。もともと歌が好きな民族が毎年野外コンサート場にものすごい数の人が集まって歌を歌っていたのだが、禁止されていたエストニア語で歌を歌い始めたのが本格的な革命の始まりとなり、ペレストロイカとも重なって、ついに自分たちの言語と自治を勝ち取った。Singing Revolution(歌う革命)と呼ばれるこの運動を通して1991年に正式に独立。エストニアは急速な勢いで発展している。前回エストニアに来た4年前と比べても、それは明らかだ。チャットでお世話になるSkypeというプログラムもエストニア人が開発した。K先生はこれを大変誇りにしているようで、Tartuにいたときも電話してくれればすむものを、わざわざSkypeしてくるのがおかしかった。

合唱で始まり、無血の平和的な革命をなしとげたエストニア人はプライドをとりもどしたようだ。それにしてもこの国の人の音楽好き、歌好きは特筆すべきものがある。

何年か前にTartuであったBiosemioticsの学会でも、お手伝いの学生さんたちが集まってたくさん歌を歌ってくれたし、裏庭で合唱している地元の人などを見かけた。今回タリンに滞在したときにふらっと立ち寄った合唱のコンサートも、若い女の子ばかりなのにものすごいレベルの高さだった。ただしTartu大学のM先生によると、以前タリンのカラオケもある唯一の日本料理レストランに学生を連れて行ったとき、みんなで歌うのは大好きなエストニアの学生も、一人で歌うカラオケは恥ずかしがって、アルコールが入ってようやくぼちぼちマイクを持ち始めたそうだ。旧市街をオレンジ色の服を着て歌を歌いながら練り歩いていたハーレクリシュナもエストニア人の気質にマッチしていると思わせられた。この国では若者がすることは何でもかわいらしく見えてしまうから不思議だ。パンク姿の少年少女も5人くらい固まっていると、エストニア・パンク全国集会かしら、と思わずほほえましくなる。(もっとも怖がられたくてトゲトゲのカッコウをしているパンクの若者にしては、「まあ、なんてほほえましい」なんて思われることほど屈辱的なことはないはずだが。)

タリンはシーズン前だというのに街のホテルはどこもいっぱいで予約をとるのも大変だったほど、観光地として人気が高まっているようだ。街はお土産屋さんがあふれているが、どれも素朴で品がいい。古い建物の一角で銀細工やガラス細工や木工品や、布製品を実際に作っていたりして、情緒があった。