2008年07月

ギリシャ旅行 ミストラ(2)

ディミトリオス教会は1200年に建てられ、15世紀に大きく改築されています。柱廊と中庭を持つ美しい建築物です。
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中に入ると・・・

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双頭の鷲!ビザンティン帝国のシンボル!


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ここで、かの東ローマ帝国最後の皇帝、コンスタンティヌス11世が戴冠したのです!そしてここからコンスタンティノープルへ発ったのでした。

塩野七生によるとこのコンスタンティヌス11世は、
『痩せ型にしても均整がとれて背が高く、細面の彫りの深い顔は、暖かい眼とあごひげで、威厳を保ちながらも人間味にかけていない。このコンスタンティヌスが、紅の大マントを風になびかせながら白馬を駆る様は、・・・・いにしえのローマ皇帝もかくやと、ほれぼれするようだった。性格も、清廉潔白で誠実そのもの。・・・』(『コンスタンティノーブルの陥落』新潮文庫p.55)

あのコンスタンティヌス11世がここで戴冠したときに、まさか自分が最後の皇帝になろうとは思ってもいなかったでしょう。コンスタンティノープル陥落の際に、最後は自ら剣を抜いて闘った場面を想像すると、感無量です(って塩野七生の読みすぎ!)

ミストラもコンスタンティノープル陥落後7年で、オスマントルコの手に落ちます。

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住居や宮殿がほとんど廃墟なのに比べて、教会は修復されているのか原型をとどめているものが多く、中のフレスコも見ごたえがあります。

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この辺りは当時商人達も行き来していた下の町です。

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当時の水汲み場。今でも水が出ます。


ミストラの町全体をじっくり見たので、朝9時頃から午後4時くらいまで炎天下を歩きました。ものすごく疲れます。水を携帯しないと大変です。なお、出口を出てもタクシーもバスもないので、麓まで歩くしかありません。2kmくらいなので歩けない距離ではありませんが、またもやヒッチハイクで親切なギリシャ人に助けてもらいました(ヒッチハイクやりすぎ・・・)。

この日の夕方はぶらぶらと散歩がてら1km離れた隣の村に歩いていきました。タベルナがあったのでそこで夕飯にしました。

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このタベルナの庭にもミストラの町の中と同じように湧き水が流れていました。お店の人はここから水指しに水をいれ、サーブしてくれました。おいしい水です。

ギリシャ旅行 ミストラ(1)

ナプフリオンの次の予定地はミストラでしたが、ここへの移動は大変でした。

ナプフリオンのバスターミナルのおばちゃんに、ミストラに行くと言うと、「そういうバスはない」の一言。せめてどうやって行ったらいいのか教えてくれればいいのに。辛抱強く聞くと、とりあえずトリポリまで行って、そこで聞けと言われました。トリポリから何時にバスが出るとか、そういう情報はまったくなし。

ギリシャのバスはKTELという市営の組織がやってるんですが、各地域が勝手に運営してるので、まったく統括されていません。全国のバススケジュールみたいなものはどこにもないし、バスターミナルで聞いても、行き先のバスターミナルで聞くしかわからないと言われます。観光大国なのに、どうして!?バスの行き先もギリシャ文字で書いてあるので、読めないと乗り損ねます。

とりあえずトリポリまでバスで行きました。そこからスパルタ行きのバスにのれば、スパルタからミストラはすぐ近くなのでなんとかなりそうです。ところがその途中、おばさんがなんだかがーがー運転手さんに怒鳴ってます。何が何なのかわからないけど、とにかくそのおばさんもスパルタに行きたいらしい。でもトリポリにバスが着くとそのターミナルからはスパルタ行きのバスは出ていないということがわかりました。みんな英語がよくわからない人たちばかりなんだけど、とにかくスパルタに行くなら、あの怒鳴っているおばさんについて行けと言われました。で、おばさんはがんがん歩き出しました。

こういう風に、バスのターミナルがいくつかあって、行き先によっては同じターミナルで乗り継ぎできないこともあります。そういう情報はどこにも書いてありませんが。

で、あてどもなく荷物を引きずりながら歩いていると、タクシーが寄ってきて止まり、おばさんに話はじめました。なにやら私たち3人をタクシーに乗せて、スパルタまで行っておばさんをおろし、ミストラまで行ってやるとのこと。値段はおばさんにはいくらと言ったのかしらないけど、私たちは2人で45ユーロ。う?ん、これはきっとものすごく高かったに違いないけど、おばさんが納得してタクシーに乗ってしまった以上、ターミナルに行ってくれる人はいないし、そこからスパルタ行きのバスを何時間待つのかもわからないし、スパルタからミストラ行きのバスにまた乗り継ぎがあって、これもどれだけ待つかわからないし、しかたなく手を打つことにしました(ギリシャのタクシーは乗り合いが普通)。

さすがタクシー。ものすごい速さで飛ばして山を越えます。トリポリからスパルタまで、結構道のりがありました。スパルタの街を少し通りましたがスパルタ自体は何の面白みもない街のようで、かつての栄光は少しもみられません。ミストラ観光にはスパルタに泊まって、バスで行く人が多いけど、スパルタに泊まらなくてよかったと思いました。

スパルタからミストラまでは来るまではあっという間でした。背に腹はかえられない選択でしたが、ギリシャのバス旅行の不便さを思い知った経験でした。まあそのおかげでだいぶ早くミストラに着いたので、夕飯までゆっくり散歩したりすることができました。

で、ミストラです。

ミストラは世界遺産に登録されているビザンティンの廃墟の町があります。標高600mの山の斜面に造られた町で、一番高い所に城塞が、中腹部分には王宮やビザンティン帝国の地方総督たちの屋敷が、下の町には証人たちも住んでいて、いくつもの教会がありました。1249年にアカイヤ公によって建てられたのが始まり。その後ビザンティン帝国が奪い、モレア専制公領として発展。14?15世紀にかけて繁栄し、「オリエントのフィレンツェ」と呼ばれたそうです。

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ホテルの窓から見える景色。ミストラのホテル・ビザンティオンはちょっと古いけど、プールもバルコニーもあって、朝からミストラの町を歩いて廻るには最適です。

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まずは上の入り口まで行って下に向かって降りてくる予定でしたが、ミストラの町はあまりにも小さく、タクシーがない。とりあえずバスが来たので乗ったら、下の入り口付近で終点になってしまいました。で、途方にくれていたのですが、思い切ってヒッチハイクしてみると(!)なんとカナダ人の男性とミストラ出身の奥さんのカップルが車で通りがかり、親切に上の入り口まで送ってくれました。ありがたや。

さっそくがんばって城塞まで登りました。

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カストロ


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屋敷址


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宮殿は修復作業中。当時の規模が偲ばれます。


さあ、ビザンティン帝国といえばあなた!塩野七生ファンにはたまらない場所がでてきますよ?!

ギリシャ旅行 ミケーネ

ナプフリオンからはバスで1時間ほどでミケーネの遺跡に行くことができます。

ミケーネ文明といえば、紀元前16世紀から前12世紀の話です。ホメロスの描いたトロイヤ戦争の英雄伝説に出てくるミケーネが、シュリーマンによるこの遺跡の発掘で、実在したことが証明されました。

かつて「黄金に富むミケーネ」とうたわれたほど繁栄していたそうです。遺跡から想像するのは難しいけど、アガメムノン(トロイヤ戦争のギリシャ側総指揮官)のマスクとシュリーマンが思った(実はアガメムノンの物ではなかったらしい)黄金のマスクなどが発掘されています(アテネの考古学博物館に展示されています)。

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獅子の門


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円形墓地


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何しろ紀元前14?13世紀の話ですから、気が遠くなります。日本じゃまだ縄文時代。竪穴式住居に住んでた石器時代。この頃すでに農業や牧畜が発達し、貿易活動も活発で、植民地までもっていたんだから驚きです。

この日もものすごーく暑くて、遺跡前のバス停の売店は大繁盛してました。絞りたてオレンジジュースは感動するおいしさ。ギリシャの遺跡見物では水分補給に気をつけないと日射病になるので気をつけましょう。

ギリシャ旅行 ナフプリオン(2)

ギリシャといえば海!

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ホテルから坂道を下って歩いていくこと3分で小さなビーチに到着!水があれば入らなければ気がすまない水棲動物Donちゃんはさっそく泳ぐ。というか浮かんでる!

私は水が冷たいので2分でギブアップ!こういうビーチにはよくカフェがあるので、そこで待ってました。

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この一見アイスコーヒーに見える飲み物は、カプチーノ・フレッドです。でもね、このミルクの部分が変!いくら混ぜても分離しちゃうんです。変に泡だってるし。このミルクの部分はオランダのNOYNOYという商品(日本のクリーマーみたいなもの)らしいです。全体に茶色で泡っぽいフラッペという飲み物もギリシャではたいそう人気でした。私はカプチーノ・フレッドほぼ毎日飲んでました。

ナプフリオンにはイタリア人が経営するおいしいジェラートのお店があります。行くことがあったらぜひAntica Gelateria di Romaに行ってみてください。(住所:3 Farmakopoulon St)

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ギリシャの晩御飯はみんな9時頃ようやく食べ始めるという感じです。タベルナという、伝統的なギリシャ料理のお店は、レストランよりカジュアルで気軽に入れます。夏はみんな外で食べます(室内は暑い!)。どのお店も道路にテーブルを並べてます。

ホームベーカリーの結末

ギリシャ旅行報告の途中ですが、緊急速報です。みなさん、覚えてるでしょうか。あの悲惨なホームベーカリーの一件を。

私たちはあきらめませんでしたよ(主に働いたのはDonちゃんでしたが)!

まずはあの後支払ったアメックスに交渉。リターン・プロテクションとか言っているけど、シンガポールではまったく関係なし。買った店のベスト電器と交渉しろとのこと。

で、ベスト電器と交渉。製品に欠陥がある場合は交換、もしくは別のモデルと交換。返品は一切できないのがベスト電器のポリシー。パンがいくらまずくても、上の部分に焼き色がつかなくても、これもいちおう焼けるじゃないか、といわれればおしまいだし、他のモデルに変えてもらっても日本のメーカーのがないので買いたくない。

で、消費者センターに訴えてみる。これは私が日本にいる間にDonちゃんが行ってきてくれたんですが、日本の消費者センターと違い、小さな部屋に椅子が2つあるくらいのしょぼい機関で、何の権力もなく、いちおうとりあげてくれたものの、手続きするだけでお金をとるんです!でもがまんしてやることに。

数日後KENWOODのカスタマーサポートに何か行ったらしく、KENWOODから連絡が入りました。で、ギリシャから帰って電話をかけなおすと、担当者が家に来て、ホームベーカリーを見てみるとのこと。昨日電話で確認があり、家でパンを焼くデモをするとのこと。最初から機械に欠陥があるとは思っていない様子。

で、今日担当の女性が2人うちに来ました。で、レシピはぜーんぜん違うレシピを使ってつくりました。機械についてきたオリジナルのレシピでは膨らまず、重いパンしかできないので(だったら本社に言ってくれればいいのに)、独自に開発したレシピだそう。ベスト電器にKENWOODのプロモーターがいなかったため、私たちはそのレシピをもらえなかったんだそう。インターネットでもダウンロードできると言ってたけど、そんなの誰も言ってくれなかったなあ。

担当の女性も、この機械はクイック・モードは使わない方がいいし、500gのレシピだと高さが出なくて上に色がつかないと言ってました。

で、小麦粉をBread FlourとPlain flourを半々にして、油も増やしたレシピで、総量750gのパンを作りました。うん、これはさすがに膨らんで、高さも出たから上の部分もうっすらと(パリッとではないけど)色がついてる。切ると中はフワっとしてます。はじめからこのレシピがあったら許せてただろうに。

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ここでDonちゃんの信念ゆらぐ!ふわっとできた食パンを見て、これならキープしてもいいんじゃないかと・・・でもね、750gのパンなんて、普通の食パンの2斤分くらいあるし、だいたいこんなにいろいろオプションがあるのに使えるボタンは実はその一部だけなんて、やっぱり不良品でしょう!で、私は断固として500gのパンを焼きたくて買ったのに、それが焼けないんじゃやっぱり許せない!と主張し、担当の女性もあっさりと返品を認めてくれました。そしてすぐにその場でベスト電器に電話して、話をつけておいてくれたのです。

善は急げ。夜にさっそくベスト電器にホームベーカリーを返品に行って、全額返金してもらいました(急にみんないい人に見える)。

というわけで、信念を貫き通せば返品なしのポリシーのベスト電器でも返品は可能!道のりは長かったけど、これはいい教訓になりました。何事もあきらめないで最後まで闘う!と、今日は鼻息が荒くなってしまいました。

ギリシャ旅行 ナプフリオン(1)

6月16日はナプフリオン(Ναύπλιο)に移動。バスで2時間半かかります。ギリシャのペロポネソス半島を移動するにはバスしかありません。鉄道はテッサロニキなど、北部に行くときだけ。アテネのバスターミナルは地下鉄で行けないのでちょっと不便です。しかもまったくオンライン化されていないので、事前にスケジュールがわからない。乗り継ぎを調べたくても、その駅まで行かないとわからないと言われる始末。移動の手段がバスしかないんだから、もうちょっとちゃんと整備してもよさそうなものなのに・・・

まあナプフリオは直行便が頻繁に出ているので問題ありませんでしたが・・・

途中コリント運河を通るなあ、と思っていたら、突然運河をバスが渡っていて、写真を撮るひまもありませんでした。観光バスならとまって写真を撮らせてくれるんでしょうが、普通のバスなのであっという間に通り過ぎてしまいました。映像はこちらを参考にしてください。

さてナプフリオンに行くというと、アテネの人はみんな、「そりゃいいね?」と言っていました。何がいいのかガイドブックを読んでもいまいちわからないので、期待せずに行ってみましたが、ホテルにむかって歩いていくと、いきなり入り口付近にこんな紋章が!

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ああっ!この翼を持つライオンは!!!!!!!


そうなのです。アルゴリオス湾に突き出た岬をもつナプフリオンは1388年にヴェネツィアに売却されて以来、150年間、ヴェネツィアの支配下にあったのです。

塩野七生ファンとしては、ヴェネツィアと聞いただけでわくわくしてしまうのです。

ギリシャのこんなところにまで・・・やるわ!ヴェネツィア人!さすがよ!ヴェネツィア共和国!

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残っているいくつかの要塞はヴェネツィア人が築いたもの。

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海に浮かぶブルジイ島の要塞


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岬の一番高いところにあるパラミディの城跡。城塞建築の傑作。1686年?1715年にかけてつくられました。でもこの頃にはヴェネツィアはオスマントルコに地中海の制海権をおさえられているのにどうして?

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1812年に始まったギリシャ独立戦争では、トルコ軍に降参するまで、ギリシャ軍がここに15ヵ月篭城した所です。

今でこそ遠回りで道路ができていて車のアクセスが可能ですが、昔は簡単にはアクセスできなかったであろうことがよくわかります。
行きはタクシーで城塞まで行き、帰りは歩いて降りてきました。

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ふう、疲れた。

ギリシャ旅行 アテネ(3)

3日目はアテネからナプフリオに移動の日ですが、午前中はホテルから歩いてすぐの現代のアゴラへ。要するに市場ですね。

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まずはお肉屋さん。


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魚屋さん、ぴちぴちで新鮮な魚がいっぱい!


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たこだ!いかもおいしそう!


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ギリシャの野菜はそれほど種類がありませんが、シンガポールで味のないまずい野菜を食べてると、ピーマンもトマトもおいしく感じました。

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フェタチーズの品揃えはさすが。


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ギリシャの漬物、オリーブ


この後市場の裏を歩いている時、ルクマデスというトルコのドーナッツを売ってる老舗のカフェを発見。Donちゃんが何もしないで通り過ぎるわけがなく・・・

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このとんでもなく甘いドーナッツを食べるはめに・・・シナモンパウダーと蜂蜜がかかってて、クリームがどかーんとついてきます(アイスクリームというチョイスもあります)。これで一人分!親切なお兄さんが、熱いドーナッツにのせるとクリームがとけちゃうからね、と別皿に入れてくれました。

想像したとおり!甘い!脳天をつんざくような甘さ!

確かに外側はサクっとしてて、クリームとの相性もいいんだけど、私は2個、Donちゃんは3個食べてギブアップ。ごめんなさい。1個だけ売ってくれませんかって聞いたんだけど、一人分6個からなんですって(なんでそんなに多いんだ!?)。

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店内はおじいさん(2割)、おばあさん(8割)ばっかり!みんな余裕で一人一皿食べてるし(朝から)!

ギリシャ旅行 アテネ(2)

<アテネ2日目>
2日目は早起きして、アクロポリス遺跡へ。8時の開場のあわせて行きました。

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衛兵の交代に会いました。靴がかわいい。


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パルテノン神殿


アクロポリスとは「高い丘の上にある町」の意味だそうで、城塞としての岩山に神殿が建てられ、聖域として機能していました。ペルシア戦争で破壊され、今残っているのは紀元前5?4世紀(!)のもの。今も再建は続いていて、私たちが帰国する日に見上げてみると、大部分に足場が組まれていました。

帰るころには観光バスが到着し、ものすごく混みはじめました。ホテルをチェックアウトして、次のホテル、Hetel Cecilに移動(2日続けて予約できなかったため。アテネのホテルは予約も大変)。

Hotel Cecilはモネストラキ駅の近くにあり、そこから歩いて考古学博物館に行きました。

地中海世界最古の文明、エーゲ文明の遺品からローマ期の彫刻まで

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ミケーネ文明のコレクション


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「ポセイドンのブロンズ像」


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「ゼウスの大理石像」


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「馬に乗る少年」


すごーく見ごたえのある博物館でした。

夜はホテルのあるプシリ地区を散歩しました。観光客向けのプラカ地区と比べて、アテネの若者が集まるプシリ地区はおしゃれなバーやカフェがたくさんあり、夜遅くまで活気がありました。

ギリシャ旅行 アテネ(1)

久しぶりの更新です。5月後半から日本いました。帰ってきて1週間もしないうちに、6月半ばからギリシャに3週間ほど行ってました。

今回のギリシャ旅行はDonちゃんの毎年恒例の学会がギリシャのシロス島であったのに便乗しました。こんな機会でもなければギリシャ旅行なんて考えられませんでした。ギリシャといえばアクロポリスくらいしか思いつかなかったし・・・でもDonちゃんにとってはソクラテスやアリストテレスが暮らした哲学発祥の地なので、思い入れがかなりあり、念入りに計画をたて、かなり強行ではありましたが、世界遺産をいくつも廻る旅行となりました。感想を一言で言うと、ギリシャすごい!ギリシャにこんなに見るべきものがあるとは思いませんでした。というわけで、これから行った町を一つずつ紹介していきます。

<アテネ初日>

6月13日の夜シンガポールを出発し、途中イスタンブールで乗り継ぎ、アテネに着いたのは朝9:30。空港からはアテネ市内に乗り入れるメトロで40分ほど。ホテルにチェックイン。

最初のホテルAthens Gate Hotelは、ゼウス神殿の目の前。屋上のレストランからはパンテノンも見える絶好のロケーションです。

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ホテルの窓から見えるゼウス神殿


初日はプラカ地区を歩き、しばらく歩いているとローマン・アゴラにぶつかり、またどんどん歩いていると古代アゴラに行き当たりました。


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お土産屋さんとレストランが並び、ツーリストでごったがえすプラカ地区


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ローマン・アゴラ(紀元前1C?紀元後2C)の風の神の塔

アゴラはポリスの中の神殿・中央広場がある中心市

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古代アゴラからフェファイストス神殿を望む


へファイストスはオリンポスの神様の中の一人、鍛冶を司る神様です。古代アゴラは建物の基盤くらいしか残っていないのですが、ここでソクラテスやプラトンが演説していたわけで、Donちゃんは感激しまくり。

古代アゴラの中ではアタロスの柱廊博物館があり、当時の建物を再現しています(アメリカ考古学会による)。柱しか残っていないギリシャの遺跡ばかりですが、これを見ると、こういう屋根がついててこんなに立派な建物だったんだなあ、と実感できます。

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アタロスの柱廊博物館


この博物館の中に、昔歴史で習った陶片追放の陶片がありました。今手元にある高校の世界史の教科書によりますと“アテネではクレイステネスが政権をとり(前508年)、国制の枠組みや政治制度を民主化し、陶片追放(オストラキスモス)を始めて民主政の基礎を確立した。”とあります。

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陶片追放の陶片(オストラコン)ってこういうのだったんだー


こういうふうに陶器の破片に僭主になる心配のある人の名前を書いて投票し、これが6000票に達すると、その人は国外に10年追放になったということです。

なんだかいきなり高校のときに大好きだった世界史の授業で習った事柄が目の前に現れて感動しました。
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