ディミトリオス教会は1200年に建てられ、15世紀に大きく改築されています。柱廊と中庭を持つ美しい建築物です。
中に入ると・・・
ここで、かの東ローマ帝国最後の皇帝、コンスタンティヌス11世が戴冠したのです!そしてここからコンスタンティノープルへ発ったのでした。
塩野七生によるとこのコンスタンティヌス11世は、
『痩せ型にしても均整がとれて背が高く、細面の彫りの深い顔は、暖かい眼とあごひげで、威厳を保ちながらも人間味にかけていない。このコンスタンティヌスが、紅の大マントを風になびかせながら白馬を駆る様は、・・・・いにしえのローマ皇帝もかくやと、ほれぼれするようだった。性格も、清廉潔白で誠実そのもの。・・・』(『コンスタンティノーブルの陥落』新潮文庫p.55)
あのコンスタンティヌス11世がここで戴冠したときに、まさか自分が最後の皇帝になろうとは思ってもいなかったでしょう。コンスタンティノープル陥落の際に、最後は自ら剣を抜いて闘った場面を想像すると、感無量です(って塩野七生の読みすぎ!)
ミストラもコンスタンティノープル陥落後7年で、オスマントルコの手に落ちます。
住居や宮殿がほとんど廃墟なのに比べて、教会は修復されているのか原型をとどめているものが多く、中のフレスコも見ごたえがあります。
この辺りは当時商人達も行き来していた下の町です。
ミストラの町全体をじっくり見たので、朝9時頃から午後4時くらいまで炎天下を歩きました。ものすごく疲れます。水を携帯しないと大変です。なお、出口を出てもタクシーもバスもないので、麓まで歩くしかありません。2kmくらいなので歩けない距離ではありませんが、またもやヒッチハイクで親切なギリシャ人に助けてもらいました(ヒッチハイクやりすぎ・・・)。
この日の夕方はぶらぶらと散歩がてら1km離れた隣の村に歩いていきました。タベルナがあったのでそこで夕飯にしました。
このタベルナの庭にもミストラの町の中と同じように湧き水が流れていました。お店の人はここから水指しに水をいれ、サーブしてくれました。おいしい水です。
中に入ると・・・
双頭の鷲!ビザンティン帝国のシンボル!
ここで、かの東ローマ帝国最後の皇帝、コンスタンティヌス11世が戴冠したのです!そしてここからコンスタンティノープルへ発ったのでした。
塩野七生によるとこのコンスタンティヌス11世は、
『痩せ型にしても均整がとれて背が高く、細面の彫りの深い顔は、暖かい眼とあごひげで、威厳を保ちながらも人間味にかけていない。このコンスタンティヌスが、紅の大マントを風になびかせながら白馬を駆る様は、・・・・いにしえのローマ皇帝もかくやと、ほれぼれするようだった。性格も、清廉潔白で誠実そのもの。・・・』(『コンスタンティノーブルの陥落』新潮文庫p.55)
あのコンスタンティヌス11世がここで戴冠したときに、まさか自分が最後の皇帝になろうとは思ってもいなかったでしょう。コンスタンティノープル陥落の際に、最後は自ら剣を抜いて闘った場面を想像すると、感無量です(って塩野七生の読みすぎ!)
ミストラもコンスタンティノープル陥落後7年で、オスマントルコの手に落ちます。
住居や宮殿がほとんど廃墟なのに比べて、教会は修復されているのか原型をとどめているものが多く、中のフレスコも見ごたえがあります。
この辺りは当時商人達も行き来していた下の町です。
当時の水汲み場。今でも水が出ます。
ミストラの町全体をじっくり見たので、朝9時頃から午後4時くらいまで炎天下を歩きました。ものすごく疲れます。水を携帯しないと大変です。なお、出口を出てもタクシーもバスもないので、麓まで歩くしかありません。2kmくらいなので歩けない距離ではありませんが、またもやヒッチハイクで親切なギリシャ人に助けてもらいました(ヒッチハイクやりすぎ・・・)。
この日の夕方はぶらぶらと散歩がてら1km離れた隣の村に歩いていきました。タベルナがあったのでそこで夕飯にしました。
このタベルナの庭にもミストラの町の中と同じように湧き水が流れていました。お店の人はここから水指しに水をいれ、サーブしてくれました。おいしい水です。